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レポート No.18

 
要約 T  U  V  W  X  Y1-5  Y6  Z  [




『X』:「意識形成の段階」



  
  『D−1』:「初期発生(受精と細胞分裂)」と「後期発生(=形態と機能の細分化後)」における、「観測者の階層が、深くなる」という「イメージの違い(=意識形成段階の違い)」



  

  「睡眠と覚醒、および、麻酔と個体の死と魂」などが「生じるイメージについて、最初に、大胆な見解」を述べたのには、理由があります。
  
というのは、「分子生物学は、個体意識形成や、個体(=意識の消失)に言及しない」特徴(=設問がないから、解答も出ない?)があり、むしろ、「受精卵からの形態形成に伴う細胞の死(=アポトーシス=プログラムされたDNAの自己分解=他の細胞に捕食・吸収される?=厳密なではない?)、あるいは、進化における、最初の生命誕生の状況(=歴史的に、1回だけ奇跡が生じた偶然=無神論)や、系統樹の存在のみ」に言及し、「分子・細胞・個体などに宿るはずの生命や、魂」については、言及しません。

  これは、「科学者自身の、主体A−客体A」と「実験材料の生き物の、主体B−客体B」という「主体と客体の結合関係(=観測のプロセス)」において、必然的に、「主体A(=科学者)客体B(=実験材料)の、変則結合が生じる(=結果的に、客観・客体側だけの、物質の断片科学の世界になり、実験材料である生き物の、主体B−が、登場しない!=結果的に、人間の主体Aも登場しない!)」ことについては、以前の東レポート(=No.11)で述べました。

  「観測者の階層の視点」がなければ、このような、「主体と客体の、階層的な結合関係」のイメージは描けません。私自身は、「大学院を終了する(=理系)」まで、「生命そのものが消えてしまう、生物学の、客観的な科学(=生化学)の、不可思議(=生命そのものを追及しない、科学とは何か?=元々、主体を考える必要性がない、物理学の客観的な科学との違い!)」に悩みました。「睡眠研究をテーマにする偶然(=医学系)」によって、この視点に、初めて、気ずきました。

  その意味で、ここでは、「逆から説明する内容(=睡眠と覚醒、および、麻酔と個体の死と、魂)」になっています。その方が、一般にはなじみのない、「意識形成のイメージ(=精神世界の研究には、言葉が不可欠!)」が、「発生段階の、初期と後期(=きわめて大まかに)」とに「対応づけて、異なるイメージ」が描けるようになるでしょう。

  「高等動物の、初期の形態形成とは、細胞が分裂を繰り返し、細胞数を増加させる段階」のことで、「通常の発生学の教科書に、形の変化のような見える結果(=本論の、表層領域=通常の空間)だけ」が記述してあります。「見えない意識」には、言及してありません。
  そこで、「見えない、意識形成の準備段階1(=@)」は、「細胞分裂(=ゲノムの複製)ごとに、段階的に、深くなる、本籍レベルの純系ゲノムの形成(=その時点における、未来の中枢=意識下の今現在状態で、深い側に存在する、4系統の作成を担当する観測者!」で、これによって、「表層塩基(=子供観測者=レベル1)の4系中枢への所属(=色文字変換)の忠実度が、深くなる段階(=細分化の1つ」だと考えます。

  次いで、「後期の形態形成は、細胞が分裂を繰り返し、細胞数を増加させながら、それぞれの細胞が分担して、細分化が生じる段階」のことで、これも、「通常の教科書に、時系列的な、見える結果(=本論の、表層領域)」が記述してあります。この場合、「見えない、意識形成の準備段階2(=A)」と考え、「準備段階1の、段階的に、深くなる、本籍レベルの形成」だけでなく、「それまでに生じた、全段階の本籍レベルの形成(=それぞれのレベルに観測者が潜む)」、つまり、「全段階の4系中枢への所属配置(=全段階の色文字変換)の段階(=全段階に、それぞれの観測者群が生じる)」だと考えます。

  そのイメージは、「図7や図8(=断面図)のように、分裂細胞を一列に並べた場合(=通常は、形の変化が記述されるけれども!)に、レベル30のような安定レベルが、全段階に生じる(=発生の段階で生じる、立体的な、碁盤の目」というイメージです。「図7の睡眠イメージの、矢印の針先側に注目すれば、それぞれのレベルの違い」が示してあります。これらの、「矢印の針先側の、種々の段階の、安定レベルは、それぞれの、分裂段階で形成された、矢印の根元のレベル(=立体的な、碁盤の目」に相当します。

  さらに、「人体の主要な構成要素の、部分的な配置が完成した胎児」の段階に対応した「見えない、意識形成の準備段階3(=B)」を考えます。これは、「内界情報と外部からの情報の結合準備や、それぞれの記憶のアクセス」、つまり、「全段階の観測者(=碁盤の目のイメージ)からの、選択的なアクセス」を可能とする「人間に特有な、知的な活動(=意識活動=言語活動)の準備段階」のイメージを作るためです。
  そのためには、「見えない領域においても、入力系(=中枢に向かう)と出力系(=中枢から出る)」に対応した「形態・機能の形成」や、「内界情報や、外界情報」に関する、それぞれの「情報の伝達・蓄積過程や、生成情報の区別」のイメージも必要に成ります。

  とりわけ、「脳の研究では、機能が局在(=分散)」しており、「異なる局在領域から、特別な情報だけを、選択的にアクセスして、これらを、統一するメカニズム」のイメージ形成が必要です。加えて、これに先立ち、「それぞれの局在部位に、大量の情報が、記憶され、蓄積・配列されるような、原理的なイメージ(=本論では、時空における並び)」が必要です。

  そこで、「本来見えない、意識活動を、見えるような形のメカニズムに変換して、理論的に考える」必要があります。これを目的にして、「東仮説」は、「特殊な時計と、マクロの量子(=大小と内外)」をイメージして、「マクロの量子の、上下の矢印方向に沿った、連続的な結合と崩壊(=塩基をアクセスできる塩基をアクセスできない」の公式と、
  基準となる意識下の本籍側の、純系ゲノムの塩基の並びと、実験的に決められた表現形の、現住所側の黒文字ゲノムの塩基の並びの、相互関係の公式(=部分と全体の、相互関係論のロジック=自然界が準備した公式?)」を作りました。

  これらの「仮説は、睡眠と覚醒で、意識が登場したり(=覚醒)、消えたり(=睡眠)する交代現象についての試行錯誤の薬理実験(=単なる、体内時計や、リズムとは見なさない!)」からヒントを得たものです。その結果が、「東仮説の、特殊な時計と、マクロの量子」のイメージですが、それに先立ち、「意識の構成要素(=単位)に対する、計算過程のイメージ(=意識の振る舞い)」が決定的に必要でした。
  「魂や意識(=通常は、個体に1つ、と考える)などが、力や方向性を持つが、構成要素(=単位)から成り立ち、かつ、統一される」というイメージから、「力や方向性を持つ要素(=単位ベクトル)の、計算原理」が必要に成ります。

  「物理学者のファインマンの考え(=曲がってくる光子群の、確率の振幅の、ベクトル加算・乗算)」をヒントにして、「統一的な東仮説(=「脳の主人」、1991年)」を提案しました。この「意識の振る舞い(=確率の振幅の、ベクトル加算・乗算)」のメカニズムの内部に、「言語(=文脈と単語)の形成(=記憶内容の、段階的なアクセス)」のヒントが含まれています。




  『D−2』:「身体的な自己(=多田氏)と、精神的な自己(=東仮説)」



  多田氏の「超システム概念」の提起は、「生命科学の最先端の研究(=発表論文?)では、もはや生命の最小ユニットでさえない断片になっている」のが現状(=細分化領域の専門家しか分からない)で、生命を全体として考えることが困難になりつつあることに触れ、巨視的な問いと分子からの答えをつなぎ合わせながら、意味論的な考察を行う」ことが目的のようである。
  そして、「移植の拒絶反応は、個の全一性を守るために、自然がことのほか大切に育ててきた生命の機構である(=ここでは、「主語=主体」が、人間ではなくて自然?)」という具合に、「個の全一性の視点が、生命を全体として考える視点」の、基調と成っています。かくして、「最も先進的な、免疫研究の成果(=分子生物学)を中心にして、初期発生にまで適用できる、共通の原理(=超システム)を探る」試み(=本人が未完成と前置きしている!)であり、さらに、「言語と遺伝子の関係や、遺伝子と人間文化の関係などの、将来的、かつ、冒険的なイメージ」についても、言及されています。

  さらに、「脳を作り出す遺伝子のプログラムはといえば、神経細胞の位置や放射の方向などを決めて脳の基本構造を拘束することはできる(=私は、これが知りたい!?が、ひとつひとつの神経線維の結合までは規定してはいない」、つまり、「後天的に、細部は、環境条件によって、形成される」と指摘してあります。
  この視点は、「1個の受精卵(=DNAの塩基列には、神経細胞の位置や放射の方向に関する、設計の分担領域が、別れて、順番に、存在するとしても!)」から観察を始めれば、「発生過程の時系列的変化は、DNAの活性化領域の違いを含めて、全部、細部変化の連続で、環境条件によって、形成されるという意味では、全部、後天的」になるはずです。

  ここで知りたいのは、「脳の基本構造を拘束する(=造る)」ために、「例えば、多数の神経細胞やグリア細胞の、それぞれの細胞内遺伝子プログラム同士が、相互の基本構造的配置(=例えば、将来的に形成される、大脳皮質と脳幹などのように、時間的にも、空間的にも離れた状況(=将来設計!)で、それぞれの細胞同士が、同時に、協調して働くような、基本構造形成と協調機能)について、発生過程の未完成の状態で、将来的な構造や機能を、どのように連絡・通信するのか?」、
  「血管の構成細胞の基本的な配置(=システム構造の形成)について、それぞれの、異なる細胞内の遺伝子プログラム同士が、相互に、協調して働くために、どのように連絡・通信するのか?」などの、
  「細胞内の遺伝子が、離れた別の細胞群の遺伝子(=隣接した液性現象ではない場合!)と、相互に、直接に通信・連絡して、共通の基本構造形成と機能発現のために、協調して働くための、通信方法・連絡原理(=直接的!)」です。

  これらは、本質的には、「発生学的には、未来と今現在に関する、また、生理学的には、今現在と過去に関する、通信方法・連絡原理(=直接的!)」です。つまり、常に、「過去・現在・未来に関する、時間の方向通信の方向」が問題(=物理学の基本問題?)になるわけです。

  また、「超システム」は、基本的には、「物理学的には、ハイゼンベルグの不確定性原理の立場(=1個の光子の挙動?)」で、「生物学的には、進化論の立場(=1度だけ、奇跡が生じた)」ではあるが、「卵細胞を通してのみ伝わるミトコンドリアの遺伝子から、アフリカで生まれた最初のイブを突き止めるという試み」がある一方で、免疫学における「個人標識の多様性の事実(=下等動物にも存在する!)から、交配可能な多数の私たちの祖先が、ある日突然地上に現われたという結論に達する」というような、進化論的な学問全体の矛盾(=?)も指摘されています。

  その意味では、「東仮説では、巨視的には、自己意識(=精神領域)が、個体の全一性の機構によって、顕在化と潜在化を繰り返すことに注目」する視点、つまり、「図6、7、8などの、睡眠―覚醒の、東流の思考プロセスから、観測者の階層メカニズムや、マクロの量子論などを経て、それを、初期発生に応用した結果」のイメージです。
  残念ながら、「分子科学的な研究の現状と、上記の巨視的な視点(=仮説)とを、つなぐ」という視点ではなく、「ヒガシ・部分・仮説のオンパレード」で、せいぜい、「部分・仮説間の、整合性を保つ」ことに注意を払っている程度で、基本的には、「物理学の基本原理(=とりわけ、時間光子と、物理学的なに、解答」を求めたい立場です。

  したがって、奇想天外な視点(=生理学の歴史に従わない!)、つまり、「個体の自己意識は、細胞や塩基などに宿る確率の振幅(=自乗した値が確率)という単位ベクトルから、合成(=計算)されて生じる(=観測者が実行する)」という具合に、「全一性の自己(=個体に1つ)は、多数の分身である自己の構成単位に分割できる(=観測者群の存在に、分割できる)」という視点や、
  「各塩基に対して、未来の、4系・4色の中枢(=観測者群)から、今現在に存在する遺伝子に、所属の影響力が働くという視点(=時間の方向!)や、別の細胞群、つまり、細胞間にまたがっている、それぞれの遺伝子領域の活動を、アクセスしたりやめさせたりする働きが、覚醒睡眠である(=脳波ではなく、観測者の視点から)」というような表現が登場します。
  基本的には、「常識の時間概念(=1方向に経過する)ではなくて、「互いに直交する、2方向、もしくは、3方向に向かう、異なる単位の、時間概念」に基づいています。

  後述する「言語と遺伝子の関係」は、あくまで、局部的仮説群の延長(=それでも、統一的な視点?)ですが、「外界からの刺激の繰り返し(=感覚入力)」に対応して、「入力ごとに、観測者のレベルを変えながら、実は、最小の観測者の基準(=最も浅い側)」だけで、「塩基の配列の違いを、見る」、
  つまり、「実際には変化しない塩基配列(=現住所側が、最初に情報を受け入れた、意識下の上位側の観測者(=深い側)に、量子(=殻)の外側から決定づけられて、下位側の観測者(=内側で、浅い側)には、異なる塩基配列のように、見える(=−のように見える=鳥類のプリンティング・刷り込みの延長)」というような関係によって生じるという視点です。
  この場合、「時空での、ゲノムの並びと細胞の並び(=直交する)」のイメージ(=東流の連続体の形成)が先行し、「連続体の並びに、量子(=殻)の大きさの違い(=観測者の大きさに対応した、本籍側の、マクロの単位塩基の並びのゲノム)」が現われるという具合に理解します(=後述)。

  つまり、「後天的に生じる、言語の多様性や、語彙の多様性に対応した、アミノ酸やタンパク質の多様性(=抗体という、多様な物質の形成)が作り出されるというような、言語に対応するような具体的な塩基の配列が存在する(=または、造られる)」という立場(=つまり、情報の多様性に対応した、異なる物質が生成される?)ではありませんが、「塩基の並びそのものが、時と場合(=見る観測者のレベルが変わるという視点から)によって、異なる並びに見える(=情報の多様性)」という立場です。
  「人種の多様性(=言語体系の多様性)にもかかわらず、人間という種に共通した、基本的な言語の文法も、観測者の上下関係(=かつ、内外関係)の、組み合わせの変動に、基本法則が、存在する」というイメージです。

  このように、私(東仮説)の場合は、ことさらに、「睡眠―覚醒の視点(=意識の自己=全一性の機構)を中心にして、多田氏のような、共通の原理(=巨視的な生命の振る舞い!)」を探る試みです。大きな違いは、「多田氏の場合は、自己と非自己という表現は、すべて、身体的(=物質)な内容」であり、「形而上学的な抽象的な言葉のように見えて、実は、すべて、身体的」という条件(=分子生物学からの、思索展開=脳死にも同じ立場で言及されている)がついています。

  「東仮説」では、「観測者の階層が、つながったり、離れたり」を繰り返すイメージを、より具体的に、「カメの階層や、観測者の階層」、および、「観測者の観測手段としての、特殊な時計」のメカニズムを導入(=可視化)して、「マクロの量子(=殻)が、重層構造として、崩壊や生成を繰り返す(=覚醒睡眠」イメージに変えたわけです。

  かくして、「観測者の階層が、つながったり、離れたり(=確率の振幅の合成計算が進む、あるいは、止まる)」を繰り返すイメージを具体的に描くには、以前に述べた図と文章を参考(=似たようで、少しずつ異なる作図のオンパレードになる!=非言語的)にして、ここで、以下のように、文章だけを繰り返しておきます。

  
「ヒガシ仮説の、マクロの量子論」には、むしろ、「このような可視化された認識メカニズムの視点」から、「階層構造の、時間経過同時存在(=2種類の上下関係、つまり、♂♀の、2系の観測者群の、観測の立場が、連結している=階層の違う立場の、時間と空間が連結して、交替で現われる)が生じる時計の構造を、メカニズム」として可視化しているために、
  「観測者が、大⇒小(=マクロの量子が、大きい側から、次々に壊れてゆく)、あるいは、小⇒大(=マクロの量子が、小さい側から、次々に大きな側へ生成してゆく)」などの「両方向に、連続的に、シフトできる」公式がイメージできます。
  これらは、「時計の構造のメカニズムが、奥行を伴う立体構造の変化(=時空)によって、生じる」という「認識メカニズム(=サイクロイドの等時と、時空における時計の目盛のシフト」に対応しますが、ここでは省略します。

  ともかく、「東仮説は、精神的な自己(=意識)」に言及しているのであり、「エックルスの連絡脳仮説(=意識の自己)」が最初のきっかけになっています。かくして、「東仮説」を前提にして、廻りを見渡せば、「免疫論や、他の分子生物学・遺伝学全体が、睡眠―覚醒(=意識)には、無関係(=主体や魂に無関係)に展開される」研究に見えるし、また、この「睡眠―覚醒(=意識)に、無関係な傾向(=全て、刺激⇔応答の実験結果なので、覚醒状態を前提としている!)は、神経細胞のネットワーク論の研究」においても、同様に見えます。

  「東仮説」では、「脳の神経細胞の基本構造や、神経ネットワークの形成も、発生の過程(=細胞分裂の過程)で、細胞内のゲノム(=塩基を、担当する観測者)に、刻印されて、記憶される(=場所は、時空=意識下)」という立場で、
  その「観測者の記憶にしたがって、生長した時点で、以前に指令された構造や機能の記憶内容が、具体的に表層領域(=通常の空間と、人工的な時間の領域)に、現われる(=表層領域=通常の空間の結果だけを、時系列で見ていれば、後天的に生成される物質に基づく、周囲の細胞からの、相互の誘導現象の、連続に見える!)」という立場です。

  つまり、「構造と機能(=通常の空間と、人工的な時間の領域)」に関する、「実施設計の具体的なイメージは、全て、前もって、意識下の時空で行われ、多様なレベルの観測者に、正確に刻印、記憶させられている(=見えない)」と考えます。
  この「観点は、物質科学の視点だけからは、前成説(=人間のヒナ型の存在!)に近い」イメージですが、「個体の自己意識の意志に関連した、学習・記憶・環境適応などの、後天的な性質」についても、「2系統(=♂側=外側と、♀側=内側)の、観測者の階層の視点」に包含されています。

  逆に、「睡眠―覚醒の機構に関係したメカニズム」への配慮(=意識主体魂や時空)が、常に、「東仮説の、敬遠(=難解さ)」に結びついているのかも知れません。ただ、「エックルスの連絡脳仮説(=意識の自己)」は、「指導的な、脳研究者や、神経生理学者」には、「エックルスの哲学」という具合に呼ばれる(=尊称?=タブー視)だけで、「科学的な扱いは、敬遠されている」のが実情のようです。その意味では、「免疫学の、イェルネの閉鎖的ネットワーク論が、現状では、指導的な分子生物学者に、タブー視されている(=多田氏の指摘)」ことと共通した側面があります。

  意識科学(=言語を含む)は、多数の局面に関する仮説の、全一性としての整合性を必用とする(=完結しなければ、理論と言えない=局部的実験事実は論文になるが、局部的仮説の積み重ねに関する、途中だけの仮説発表では、意味をなさない!)」ので、現状では、やむを得ない側面もありますが、多田氏の、「免疫分野におけるイェルネの概念展開の歴史と、利根川氏による実験的証明の歴史の、同時進行」などの記述から、

  将来、多田氏のように、「言語とゲノム」へ言及したくなる心境は、同様の意味で、「精神的自己と、神経回路、および、言語(=意識活動)とゲノムの関係」への、「発生学的で、閉鎖的(=開放的)システムへの展開イメージ(=内側での完全な体系の形成は、外側での世界の体系の形成と、同じ!=プラトン的?)」を拡大させる将来性を感じます。

  ただ、「感覚系が、正常に発達しなければ、情報に関する、閉鎖的な完結システム(=内界)と、開放的な完結システム(=外界)は、つながらない」はずです。「学習とは、この、内側の体系と、外側の体系をつなぐプロセス(=結果的に刷り込み?)」に相当するはずです。

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